花街の紹介
赤坂花柳界
- ◇地名の由来◇
赤坂の地名の由来には各種説があり、決めてとなる説はまだない。代表的な諸説としては、
1.赤土の坂が特徴的な立地だったため。
2.茜草(あかねぐさ)が多く自生していたことから赤根山(あかねやま)と呼び、赤根山に上がる坂を赤坂と称したため。
3.松平安芸守下屋敷内の地山が赤土だったため。
◇組合HP◇
東京赤坂組合 http://akasakakai.jimdo.com/ (移転した模様)
◇赤坂花柳界の歴史◇
かつて赤坂には「溜池」(ためいけ)という大きな池が存在し、その周辺に各藩の大名屋敷が混在していた。溜池は当時、風光明媚でホタルが飛び交う場所として知られていた。それに随時して茶店がつくられ、のちに岡場所(江戸時代の非公認の花街、遊廓)が形成される。しかし、芸妓の置く花街として機能するのは明治以降である。主に、軍人、政治家が利用し、最盛期には芸妓400名、特に萬龍(まんりゅう)という芸妓が売れっ子として名を知られ彼女の写真が完売になるほどである。
昭和30年(1955年)には芸妓300名、料亭80軒であったがバーやスナック、クラブなどがの業種が増え、政治家による「待合政治」が批判を生み減少し、2007年現在、料亭6軒、芸妓10人前後である。2009年(平成21年)、4年前の2005年(平成17年)に閉店していた料亭『金龍』が新業態の店として復活し話題を呼んだ。(wikipedia)
明治初期は軍関係者の街であり、その後は官僚街として栄えた赤坂だが、「官官接待」の禁止や、バブル崩壊を節目に斜陽になったが、赤坂をどりの開催や、赤坂金龍のリニューアルオープンなどを期に盛り返しをしている。
◇アクセス◇
赤坂駅、赤坂見附駅周辺が赤坂花街。
日枝神社は赤坂をどり等でも唄われることもある有名な神社。
◇日本舞踏流派◇
藤間流
西川流
◇主な催し物◇(調査中)
※2018年度の赤坂をどりは12月開催となります。
◇動画紹介◇
赤坂芸妓 西川ぎん子姐さんが、芸妓のココロと踊りとお酒について語る
赤坂芸妓 西川ぎん子姐さんが、江戸芸能などについて語る
江戸芸能伝承保存会 西川ぎん子姐さんが、江戸芸能について語る
◇関連書籍◇
赤坂ずっこけ芸者 お座敷ここだけの話
千代喜久