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    こんにちは。当サイトの管理人の長岡です。
    この度、向嶋花柳界の見番、向嶋墨堤組合を取材させて頂ける機会に恵まれました。
    実際の取材現場のやり取りを対話形式でご紹介する予定でしたが、歴史的にも貴重なお話が多かったため、情報が間違って伝わらぬよう、文章形式で向嶋花柳界をご紹介させていただきます。
     
  • 向嶋花柳界の歴史
  • 葉ざくら芸妓としての向嶋芸妓

  • 墨田区の向嶋墨堤組合

    向嶋花柳界は、浅草駅から隅田川の桜並木沿いを少し上がった、言問橋を渡った所にあります(墨田区向島2丁目、5丁目界隈)。花街の発生時期については明確ではありませんが、江戸時代には料理屋が中心に営業をしていました。その頃は向嶋で遊ぶ客の多くは、はじめに吉原や柳橋、中州あたりに行き、そこから芸妓を連れて向嶋の料理屋に上がったと言われています。

    見番の始まりは諸説あり、一説では明治8年に水神の「植半」という料理屋の女将・坂田キクが見番を開業したとされていますが、他方では、明治30年に女髪結いの桶田ナミさんが芸妓を集め、初めて見番が出来たという説もあります。


    拝見した資料の一部
     

    この様にして出現した向嶋芸妓は当時「葉ざくら芸妓」という呼称でよばれていました。後に「わかさや」小歌という帝都名物錦絵にも描かれる程の代表芸妓が出現し、人気になります。しかし昭和初期になると見番が旧見と新見とに分裂しました。

    「全国花街めぐり」(昭和4年 松川二郎著)によると、旧見が料理屋7軒、料亭40軒・芸妓屋48軒・芸妓90名。新見が料理屋16軒・料亭90軒・芸妓屋77軒•、芸妓149名となっています。

    現役の古い向嶋のお姐さんの話によると、昭和12年頃には見番は5~6位に分かれていたようです。また、ある本では、昭和15年に大合同が実現し、当時は芸妓屋408軒、料亭・料理屋215軒・芸妓1300名という一大花街が出現したとも書かれています。このように江戸時代から戦前までの向嶋花柳界の歴史には諸説あるということが分かりました。いずれにせよ、昭和15年に全盛期を迎えた向嶋花柳界でしたが、その後に戦時下に入り、東京大空襲に直面することになったのです。

  • 戦後の復興

  • さくらまつりの芸妓茶屋

    戦後の花街の復興躍進過程を詳しく知ることは出来ませんが、先の御姐さんの記憶では、昭和26年に芸妓600名・御出先の料理屋、料亭150軒であったようです。しかし、その後の社会情勢の影響もあり全国的に花街の規模は縮小します。昭和61年にそれまでの芸妓屋組合・料亭組合・料理屋組合の三業に分かれていた組織を合体して「向嶋塁堤組合」として一本化することになりました。平成元年には見番の建物を新築し、現在の向嶋花柳界に繋がります。

    春のお花見、夏の夕涼みの屋形船、 隅田川花火、秋の向島百花薗、冬の隅田川七福神巡り、季節ごとの彩り豊かな江戸情緒は今も昔も変わりありません。お花見のころに開催される「さくらまつり」では、毎年芸妓衆による「芸妓茶屋」を出店し花見客をもてなしています。若い芸妓も多く、芸の継承と地域発展のために力を尽くしています。

  • 「かもめ」さんの制度
  • もともとは料亭が、芸妓の全体的不足ということからお店独自に専属の若い接待女性を確保したことが始まりとなります。導入当初、見番登録の芸妓衆との関係でギクシャクもあったようですが、次第に芸妓衆とかもめさんとのコンビネーションも良くなり、かもめさんの中からも芸妓を目指そうとする方も出てきました。その結果、芸妓不足の解消と、若手化に大きく寄与することに繋がりました。

  • 向嶋花街の可能性
  • 現在、厳しい社会情勢等の影響もあり、一抹の寂しさを漂わせています。これは全国各地、花柳界以外にも共通する問題でもありますが、向嶋には若手を含め芸妓衆が90名も存在するわけですから、対策するための条件は整っています。後は、皆様に花街の魅力をどうアピールしていくかが課題となります。向島という地域の持つ一種独特の下町の情緒が、その可能性を示していると思われます。

    <平成28年1月現在>料亭14軒・置屋45軒・芸妓90名(向嶋墨堤組合 公式記録)

  • 現在の向嶋墨堤組合

    • 稽古の看板
      見番事務所には芸妓衆の名札が並べられ、
      出勤状況が管理されている。

        稽古の看板
      玄関には芸事の師範の名札が並ぶ。
        稽古の看板
      平日の見番では芸事の稽古が開催される。
      この日は清元と猿若流の稽古が行われた。
    • ◇向嶋墨堤組合
    • 平成元年に建造された見番内には、見番事務所、応接室、稽古場やお披露目の場として使われている大広間などの設備があります。

      見番事務所には芸妓衆の名札がズラリと並び、出勤状況を管理しています。





      ◇向嶋芸妓の一日
      向嶋芸妓の一日は朝の稽古から始まります。身支度をした芸妓衆が見番の稽古場に集まり、各々の芸事に励みます。曜日別に開催内容が違い、日本舞踊(西川流、猿若流)、清元、長唄、笛、鳴物の稽古が行われます。

      夕方頃になると芸妓衆は、美容院で髪を整え、置屋でお座敷の準備をします。お座敷でのお仕事は深夜まで及びますが、翌日も朝早くから稽古に取り組みます。なかなかハードな毎日を送られていることが分かりました。





      ◇年間行事
      2月:節分(お化け)
      4月:墨堤さくらまつりにて、芸妓茶屋を開催(※1)
      11月:勉強会(見番にて日頃の稽古の成果を公開)(※2)
      11月:六花街のおどり

      ※1 墨堤さくらまつりは3月下旬より開催されます。
      ※2 勉強会は、10月開催の年も過去にありました。



     ※見番では、不定期開催の催しの企画や、地元行事の協賛も行う。

  • 取材を終えて


  • 前回の向嶋をどり
     
    向嶋墨堤組合様、取材へのご協力ありがとうございました。
    当日は記事には書ききれない多くの貴重なお話を聞かせていただけました。

    取材を通して、芸妓衆の芸事に対する熱心さや、芸妓としての誇りなどを感じる内容となりました。

    向嶋花柳界では過去に向嶋をどりを開催しています。私個人として感じたことは、最初は隔年ででも定期開催してほしいと感じたことでした。日本最大規模の芸妓数を誇る向嶋芸妓の総踊りを観たいと思うお客様は絶対に多いです。

    現在は、毎年開催される勉強会と、六花街のおどりが一般公開されていますが、ファンとしては観に行ける機会が1度でも多いに越したことはありません。毎日の稽古に励む芸妓衆からも、お披露目の場を望む声はあるはずです。

    もし、近い将来に開催の話が持ち上がった場合は、東京花柳界情報舎よりいち早く告知をさせていただきます。

  • 取材日:2017年12月某日